「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」
三宅香帆:著
笠間書院
[st-kaiwa1]名作といわれる小説(文学作品)を読んではみたもののよく分からない・・・という経験はありませんか?[/st-kaiwa1]
夏目漱石、芥川龍之介、ドストエフスキーにヘミングウェイ、最近では村上春樹とか。
国語の授業で読まされたり、「オレも文学っちゅーものをたしなんでみるか」と手を出してはみたものの「これのどこが面白いの?」ってなった経験、私はたくさんあります。
そんな小説をイマイチ楽しめてない人に「小説ってこんなに面白いんだよ〜!」ってことを教えてくれる1冊。
それが今回ご紹介する三宅香帆さんの最新刊「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」です(タイトル長っ!)
小説の読み解きかた、楽しみかたがぎゅっと詰まっていて、この本を読み終えたらきっと何か小説が読みたくなること間違いなし!
アマゾンの内容紹介
読んだほうがいいのは分かってる! わかってるけど読んでもよくわからない! だから読んだふりをしちゃうんだ!
夏目漱石、村上春樹、ドストエフスキー、三島由紀夫、カミュ……。
読んだふりしたくなる、だけど実はよくわからない小説の楽しく読む方法を、注目の若手書評家の著者が解説。
どうして小説はハードルが高いのか?

文学的な名作といわれる小説を読んではみたものの「何がどう面白いのか、さっぱり分からん」とモヤモヤした気分で読み終わることありますよね。たぶん。。
どーして小説は分かりにくいのか問題について著者はこんなふうに言います。
小説は、基本的に「私はこんなふうに悩みを持ってるよ。そんで、その悩み対してこう考えたり、こんな体験をしたりしたけれど、まあ、これが解決になったかどうかは、あなたの解釈にゆだねるよ。ていうか、解決なんてしないかもしれないけど」と伝える(ことの多い)メディア。
自己啓発本の場合は、「私はこんな悩みを持ってるよ。そんで、こうやって解決したよ!」と伝える。結末を解釈にゆだねてはいけない。
つまりこういうこと。
- 「小説=結論は読者の解釈にゆだねる(答えは明確には書かれてない)」
- 「自己啓発本=結論、解決方法を明確にして読者に渡す」
そんなわけで、答えを早く知りたい!問題(悩み)を手っ取り早く解決したい!という人にとって小説は、ちょっとモヤモヤした感じになるのではないでしょうか?
では、なんで小説家はもっと分かりやすく書いてくれないのか?・・・それにはちゃんと理由があるんですね。
私たちが人生で抱く悩みなんて、ひとことでばしっと名付けてしまえるほど単純じゃない。
自己啓発本が扱う悩みって「うまく話せるようになりたい」「夢をかなえたい」みたいな割とシンプルなものが多いですよね。
その一方、小説ではもっと込み入った悩みを扱ってる。
例えば夏目漱石の「門」って小説があるじゃないですか?
なぜあの作品のタイトルが「俺と仲の良いはずの妻のあいだに子供がいないという件について」ではなくて、「門」なのか?
それは単に夫婦間の問題だけではなく、もっと奥深い悩みや心の葛藤を描いているから。
それと小説はタイトルから内容が推測しにくいという問題もあります。
『ノルウェイの森』と聞いて、60年代の大学生の恋愛物語(あとビールが飲みたくなる小説)だと誰が想像できるだろうか。『舞姫』と聞いて、誰が舞姫をこっぴどく捨てる話だと思いつくことができるだろうか。
たいていの名作と呼ばれる古典的小説は、タイトルから内容が分からない。おそろしい商品である。
まとめると小説は
- 扱ってるテーマ(問題)の答えがちゃんと書かれてない(読書の解釈にゆだねられてる)
- 扱ってるテーマ(問題)は一つではない(複雑な悩みを扱ってる)
- 小説のタイトルから書いてある内容が分からない
こういう諸々の要素が「読んだけど、よく分からん」という印象を持ってしまうんですね。
『金閣寺』をアイドルとして見た男

そんなよく分からん小説をどうしたら楽しめるのか?
この本では20の作品(「吾輩は猫である」とか「カラマーゾフの兄弟」など)を取り上げて著者が具体的に小説を楽しむヒントを教えてくれる。
楽しむヒントの一つにメタファーを探して読み解くという方法があるのです。
目に見えている設定や表現が、その裏で、その設定「みたいに」現実ってこういうところあるよね、と示す。それを私たちはメタファーと呼ぶ。
メタファー・・・国語の授業で習ったかな?「比喩」のことですね。
たとえば「りんごのような頬」というと、私たちは瞬時に「赤い頬」のことを指している、と分かる。(中略)この「りんご=『赤』」という図式を頭のなかで無意識に描ける私たちの能力を使った表現が、メタファーだ。
小説を読んでいるとき、このメタファーに気づいて読み解くことができると物語の別の一面が見てくるという。
三島由紀夫の作品に「金閣寺」っていう有名な小説があるじゃないですか?(ちなみに私は読んだことないけど)
あらすじはこんな感じ。
実在する金閣寺放火事件の犯人をもとにして、小説に仕立て直した作品。若い僧侶は、昔からコンプレックスだらけの人生を送って来た。孤独感を何にも解消できなかった彼は、父から「あんなに美しいものはない」と聞かされていた金閣に、いつしか惹かれてゆく。
さて・・・・
なんで三島由紀夫はこの作品のタイトルに「金閣寺」と名付けたのか?
そりゃ、金閣寺にまつわる物語で最後は金閣寺に放火までしてしまうわけだから・・・でしょ、って思いますよね。
でも、そこから一歩進んでみると、彼にとっての「金閣」のような存在が、私たちにも、あるいは三島由紀夫にも、存在しているんじゃないか?
つまり、彼の「金閣」は、いったい何のメタファーだろう?と考えてみたらいいんじゃないだろうか?
私がこの本を読んでいて一番、「えっ、こんな解釈あり?!」と思ったのが、著者の次のような解説。
ここから先は私の解釈だけど。金閣は、現代でいうところの、彼にとっての「アイドル」だったのではないか・・・・と思う。
今っぽい言い方でいうと、「推しメン」。あるいは、もう少し普遍化すると「信仰相手」。「尊い」ってやつですね。
考えるに、主人公・溝口(あるいは三島由紀夫)は、今生きてたら、AKB48あるいはジャニーズのアイドルのコンサートでサイリウムを振って、もったいぶった批評文をブログに書き連ねていたタイプだと思う。
ちょっと突拍子もないような解釈だけど、この後につづく著者の言い分を読むと「なるほど〜!」って納得してしまいました(ぜひ本書を読んで確かめてみてください)
金閣=AKBやジャニーズのアイドルというメタファーって読み解くと、急に他人事じゃなくて身近な物語のように感じられるし、この主人公をアイドルオタクに置き換えながら読めば、きっと「金閣寺」も面白く読める気がする(今度、読んでみよう!)
メタファーについては、こんなことも書かれてる。
「魔女の宅急便」は、一見「魔女キキの成長ストリー」ではあるけれど、その裏で「思春期の女の子のありかた」のメタファーが隠されている。思春期の子どもって、キキ「みたいに」成長するよね、と。
「魔女の宅急便」のどこに、どんなメタファーが隠されているのかは本書を読んで欲しいのだけど、小説に限らず映画やテレビドラマなどの「物語」に隠されてるメタファーに気づくと、もっともっと物語が楽しめるようになることが分かる。
感想その1:他の人の解釈を読む楽しさも読書の楽しみ

この本は構成がよく出来てる。
最初の方は「カラマーゾフの兄弟」や「吾輩は猫である」「グレート・ギャッツビー」などの楽しみ方が書かれてる。主題はあくまでもそれぞれの作品。
だけど読む進めて後半になってくると、物語を楽しんでる著者(三宅さん)の心の中を読んでるような気分になるんですよ。
最後の方に出てくるみんな大好き!村上春樹の「眠り」についての解説なんて殆ど著者による読書感想文だ。
もちろん、それが悪いわけじゃない。
小説に限らず、本を読んだときにどんな解釈をするか、どんな感想を持つかに正解なんてない。
例え作者が意図してないような解釈をしたって、どう解釈するかはあくまでも読者の自由だと思ってる。
だから、100人の読者がいれば、100通りの感想や解釈がある!
実際、読書会などをやって他の人の感想を聞いて「なるほど!」と思うことは多いよね。
実際、この本の中で著者も「自分で読んで終わりだなんて、うなぎをごはんなしで食べたようなもんだ」と、他の人の解釈、解説を併せて読むことをお勧めしてる。
本読みの達人、三宅香帆さんの感想を読むだけでも充分に楽しむことができるのだ。
それに何より、「ほら、この作品ってこんなに面白いんだよ、ねっ、ねっ!」という楽しさが伝わってきて「そんなに面白いなら読んでみるか」って気分になる。
感想その2:小説の面白さはストーリーの他にもある

私は、小説における、いわゆる「ストーリー」なんて些末な存在だと思っている。ぶっちゃけ、小説のストリーなんて、男女が出会って恋をして別れるだけでもいいだんだよ!(中略)
夏目漱石と太宰治は、村上春樹と村上龍は、サリンジャーとフィッツジェラルドは、同じストーリーを書いたとしてもきっとちがう話になるでしょ。
あらすじなんて、些細なものだ。あらすじそのものより、小説が叫ぼうとしているものや、台詞のすみずみに込められた感情を味わうほうが、絶対面白く小説を読むことができる、と私は思う。
これまで私はストーリーが面白ければ、それで良し!最後にどんでん返しがあればさらに良し!と思いながら小説を読んできた。
浅はかであった・・・
私自身は「ストーリーは些細なもの」とは思わないけど、それだけに着目してると、小説の美味しい部分をかなり見落としてしまうことをこの本から教えてもらったと思ってる。
例えばカミュの「ペスト」。最近の流行り病の影響で注目が集まりベストセラーになった作品。
私も読んだけど、ぶっちゃけあまり面白いとは思えなかった。ところどころに現在のコロナ騒ぎと似たような状況が描かれていて80年前も今も同じだなぁ、とは思ったけど、ストーリーとしては「これ面白いのか?」って思ったんだよね。
だけど、この本で著者の解説を読み「おぉ、こんなメタファーが隠されていたのか!!!!!!!」ってなりました。
著者によれば「実は小説は二度目に読み返すほうが面白い。つまり明日のカレーはおいしい、みたいな話かもしれない」ということなので、この本を読み終えた今、改めて昔読んだ作品を読み返してみようかと思ったりしてる。
そう!この本を読み終えると無性に小説が読みたくなるんですよ。
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