● 「ホセ・ムヒカの言葉」
● 佐藤美由紀:著
● 双葉社
昨日、タイムラインを眺めていたらウルグアイの元・大統領、ホセ・ムヒカ氏が政界引退を発表したとの記事が目に入ってきた。
2016年に来日したときには「世界で最も貧しい大統領」としてテレビなどのマスコミで多く取り上げられたので、覚えている人もいるのではないでしょうか?
政界引退の記事を目にして、懐かしくなり久しぶりににムヒカ氏についての本を引っ張り出してきて、パラパラと流し読みをしてみた。
なぜ「世界でもっとも貧しい大統領」と言われるのか?

ご存知ない人のために、簡単にホセ・ムヒカ氏について。
- 第40代ウルグアイ大統領(2010年〜2015年)を務める
- (任期終了後は上院議員として引き続き政治家として活動)
- 大統領公邸に住むことを拒み、妻が所有する小さな農場で暮らしていた
- 公用車も古いフォルクワーゲン・ビートルに乗り、自分でハンドルを握っていた
- 大統領としての収入の90%は慈善団体や自分が所属する政党に寄付していた
- 残りは将来、自分の農園に貧しい子供たちを受け入れる農業学校を作るための貯金
こうした質素な生活ぶりから、いつからか「世界でもっとも貧しい大統領」と呼ばれるようになったそうです。
質素の哲学

ムヒカ氏が質素な生活を送るのは、そこに彼なりの哲学があるから。
貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです。
私を貧乏だと言う人たちこそ貧しい。私の定義では、貧乏人というのは、必要とする物が多すぎる人たちのことです。
こうした言葉を聞くと、日本でも古くから言われている「足るを知る」って言葉を思い浮かべる人がいるかもですが、ムヒカ氏が質素な生活を送るのは、もっと深い理由があるのです。
その理由とは、彼の人生哲学ともいうべきもので、私が思うにそれは主に以下の3点にあるのではないかと思うのです。
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- 持続可能社会への疑問
- 消費主義型社会への警鐘
- 自由のための闘い
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持続可能社会への疑問

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。
息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億〜80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。
これは2012年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで行われた国連の会議で行われたムヒカ氏の演説の一部です。
日本やアメリカ、西欧諸国などの先進国は、より便利な物を作り、それをひたすら消費しつづけることで「裕福」になってきました。
しかし、そんな消費モデルで発展することにムヒカ氏は疑問を呈します。
こんな消費社会が将来にわたって持続可能なのか?!
そして、消費のために時間と身と心をすり減らして長時間働くことが果たして人類にとって幸せなのか?!
私は消費主義を敵視しています

私は消費主義を敵視しています。現在の超消費主義のお陰で、私たちはもっとも肝心なことを忘れてしまい、人類の幸福とはほとんど関係のないことに、人としての能力を無駄使いしているのです。
人が物を買うときは、お金で買ってはいない。そのお金を貯めるために割いた人生の時間で買っているのです。
私たちの社会は消費が経済をまわしてますよね。ひたすら商品やサービスを消費していかないと、「不況のオバケがみんなの前に現れる」とムヒカ氏は言います。
そして消費と引き換えに支払っているのは、お金ではなく自分の人生の時間だと指摘するのです。
もっと便利に!もっと豊かに!・・・と「もっと!もっと!」と突き進むために、自分の自由時間を割いて働く社会。
ムヒカ氏が質素な生活を送るのは、そんなラットレース のような社会に対してのアンチテーゼなのかもしれません。
質素は”自由のための闘い”です

ムヒカ氏にとって、お金や物をたくさん持っていることは、とても『不自由』な状態と感じるようです。
もし、少ししか物を持っていなければ、その物を守るための時間を少しで済みます。
そして、ムヒカ氏にとっては、働いてない時間こそが自由な時間であり、その自由な時間が自分な好きなこと(趣味など)や大切な人と一緒に過ごすことができる「生きる時間」だというのです。
物であふれることが自由なのではなく、時間であふれることこそ、自由なのです。
ムヒカ氏は質素な生活をおくることで、生活に必要なお金と物をえる時間を削り自由な時間=生きる時間を確保してるというわけです。
しかも、その質素な生活は決して不快や我慢の上に成り立っているのでなくムヒカ氏はとても贅沢と感じているようです。
私は、持っているもので贅沢に暮らすことができます。
つまり、「お金や物はたくさん持ってるけど、自由な時間の少ない人生」と「質素な生活だけど、自由の多い人生」。
どちらがより豊かな人生と言えるのでしょうか?
ムヒカ氏はそう私たちに問いかけているのかもしれませんね。
信念があれば人間は強い動物です

敗北者とは、戦いを辞めた人のこと。人間は強い生き物であり、多くのことを乗り越えられます。悪いことは良いことを運んでくれるのです。
人生ではいろいろなことで何千回と転びます。愛で転び、仕事で転び、いま考えているその冒険でも転び、実現させようとしている夢でも転びます。
でも、千と一回立ち上がり、一からやり直す力があなたにはあります。
ムヒカ氏が「質素」や「自由」というものに大きな価値を感じるようになった契機は、たぶん若い頃にゲリラ活動に参加したことで捕らえられ13年間の過酷な獄中生活を送ったことにあると思うのです。
獄中ではそれは酷い拷問なども受けて生死の境をさまよったり、精神に異常をきたすのではないかと思ったりもしたそうです。
そんな長い獄中生活を振り返って「私は刑務所の床で眠りました。ですから、マット一枚与えられただけで、その夜は幸せな気持ちになれました」と語り、それが後々の質素な生活ぶりにつながっていくのです。
獄中生活がムヒカ氏に与えたのは、質素な生活だけではありません。
過酷な環境を生き抜いた強い精神力とそこから発せられる力強い言葉の数々。
「人間は強い生き物であり、多くのことを乗り越えられます」
「千と一回立ち上がり、一からやり直す力があなたにはあります」
こうした言葉は、きっと獄中生活とは無縁のフツーの生活を送っている私たちにとっても、勇気を与えてくれますね。
感想
ムヒカ氏の政界引退報道を見て、久しぶりにこの本をパラパラと読み返してみたのですが、なんか色々と忘れてしまってましたね(ダメじゃん、オレ!)
「世界でもっとも貧しい大統領」とか「貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです」という言葉がフィーチャーされて、質素な生活ぶりに注目が集まってしまいがちですが、それって割と表面的なことだと思うんですよね。
この本、100ページちょっとで薄いのだけど、それを読むだけでもムヒカ氏の人生哲学の奥深さというものは充分に伝わってきます。
若い頃にゲリラ活動に身を投じたのは、ウルグアイで労働者の自由が制限されていた時代に「格差のない社会と自由を夢見て」という理由で、やってたことは本当に過激派そのものだったようだけど、経済的な弱者に寄り添う姿は、その頃も大統領になった後も変わることはなかったのです。
余裕のある人には弱者を助ける義務がある。
貧しい生活をしている人々の生活が改善されれば、我々の生活も良くなります。
人生はもらうだけでは駄目なのです。
まずは自分の何かをあげること。
どんなにボロクソな状態でも、必ず自分より悲惨な状態の人に何かをあげられます。
こうした弱者に寄り添う言葉や行動は、この本に数多く書かれています。
こうした言動を「貧困」とか「格差」って言葉にしてしまうと、政治家や慈善家の領域になってしまうけど、「助け合い」と考えれば、私たちにも通じるものがありますよね。
ムヒカ氏の言動は本当に素晴らしいと思うのだけど、それと同じことをやれ!と言われても、そうカンタンに真似なんてできるもんじゃない・・・と思う。
でも、ムヒカ氏の言葉の奥にある「豊かさ」や「自由」「人生で大切なもの」は何かという問いかけには、ハッとさせられる物があるし、「千と一回立ち上がり、一からやり直す力があなたにはあります」という言葉には私たちの人生を後押ししてくれる力強さが宿っているように感じます。
今回、ムヒカ氏が政界引退を表明したのは、高齢と慢性疾患、それに新型コロナの影響だという。
願わくば、政界を引退してもいつまでも元気でいてもらいたいなって思います。
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