「終わった人」
内館牧子:著
講談社文庫
サラリーマンの定年退職とその後の悲哀を描いた小説。
少し前に舘ひろしさん主演で映画化もされた作品なのでご存じの方も多いかもです。
この物語の終盤。主人公、田代壮介が故郷の盛岡に帰郷したときに年老いた父親の介護をしている同級生を訪ねる場面が描かれているんだけど、それが妙に心に残ってる。
今回の記事では、メインのストーリーとは少し離れたそんなサイドストリーについて思ったことを語ってみたいと思います。
アマゾンの内容紹介
大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられそのまま定年を迎えた田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れた。生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき続ける男に再生の時は訪れるのか?シニア世代の今日的問題であり、現役世代にとっても将来避けられない普遍的テーマを描いた、大反響ベストセラー「定年」小説。
故郷で父親の介護をしながら家業を継いだ同級生
故郷の盛岡に帰郷した主人公は急遽開かれたミニ同窓会に招かれる。
その席上で「16番」と呼ばれてたいた川上喜太郎の話を聞かされ、実家の小さなカメラ屋を継いだ彼に会うために同窓会の席を抜け出して会いに行くのです。
かつて高校生の頃にフイルムの現像のために何度も顔を出した懐かしいカメラ屋に着くと、そこにはすっかり老人の姿になってしまった「16番」と認知症が進んだ彼の父親の姿があった。
久しぶりにやってきた息子の同級生に関心を示さず、台所で夕食らしきご飯、味噌汁、煮物を食べ続けてる父親。
父親は俺の方を見ることもなく、無表情で食べ続けている。 「親父、認知症が進んでさァ。徘徊もあるし、危険なこともわがらねくなってて、目を離せねのす。昼はデイサービスさ行くんとも、夜は俺も出はられねんだよ」 16 番は冷蔵庫からビールを出して来た。 「親父、メシ食ったことをすぐ忘れて催促するんだ、何回もな。俺はそのたんびに食わせてるのす。ナーニ、九十を越えてるんだから、今さら我慢させることねがべ。な、父さん」
そして何度目かの夕食を食べ終えた父親は家の中をウロウロと歩きまわる。そんな姿を見ながら「16番」は主人公の田代にこんな心情を吐露した。
「初めは親父のことも情げなくてさ。昔のちゃんとした姿ばっかり思い出してな、なしてこんたになったべと思ってな。だっとも、親父の思い出と戦っても勝てねのさ。同じように、女房や息子と幸せだった日と戦ってもさ」
そして同級生の2人は星空の下で再会を期して別れるのでした。
思い出と戦っても勝てない
「昔のちゃんとした姿ばっかり思い出してな、なしてこんたになったべと思ってな。」・・・年老いて認知症になってしまった親の介護をしている人だったら、きっと一度は同じことを思ったことがあるんじゃないでしょうか?
私の父も80を過ぎて車イス生活になって、時々トイレも失敗するようになり。。
今だったら「虐待だ!」と言われると思うのだけど、子供の頃の私は殴る蹴るの体罰を父から受けて育ち、父親とは怖いものだとずっと思っていた。
そんな厳しかった父がすっかり弱ってきて私や弟の手を借りないと生活できなくなってきて。。
私も昔の父の姿と今の姿のギャップに戸惑い、時に怒り、時に情けなく思い、母の介護の時とはまた違った感情にとらわれつづけてました。
「そのうち、死んだ女房の口癖思い出してさ。俺が何か落ち込んだりして、昔は良がっただのって嘆いたりするたんびに、女房は東京の下町の女だからべらんめえで叱るのす。『ああ、しゃらくさい。思い出と戦っても勝てねンだよッ』てさ」
思い出と戦っても勝てないのだ。「勝負」とは「今」と戦うことだ。
親の介護をしつつ昔の元気だった頃の姿を思い浮かべながらイライラしたりするのは、けっきょく思い出と戦っているのだ。
もしも「思い出と戦ってる」が分かりにくかったら、「過去に生きてる」と言い換えてもいいと思う。
そして「思い出と戦う」ということは「時間の流れにさからう」ことと同じ。だから勝てない。
たぶん・・・
親が若くて元気だった頃の姿は思い出にとらわれるのでなく、認知症や不自由な体になってしまった「今」の親の姿と正面から向き合うことが、介護にとって必要なことなのかもしれない。・・・そんなことを思ったのでした。
感想
この小説の主題は別に親の介護というわけではありません。
優秀な成績で銀行に就職したにもかかわらず出世コースから外れ、子会社に出向してそのまま定年を迎えた主人公が「まだ終わってない」と再起をかけて奮闘するも、最後は・・・というような物語です。
老齢を迎えた人あるある的なエピソードが散りばめられながら物語は進行していくので、アラフィフとかアラカンの人なら読みながら共感する場面も多いかもです。
ところで、就職、結婚、定年など人生にはいくつかの「節目」ってあるじゃないですか?
ある日を境にして別の新しい生活が始まる。
そんな節目を軽々と飛び越えて新しい生活に順応できる人もいれば、そこでつまづいてしまう人もいる。
この物語の主人公は完全に後者。
東大卒という高学歴、そしてエリート銀行員という過去の栄光が邪魔をして定年後の新しい生活に順応できなかった。
順応できずに、あがいて、失敗して、大切なものを失って、そして再生への第一歩を踏み出したところで物語はエンディングを迎えます。
そんなエリート人生の末路を作者は「思い出と戦っても勝てない」と表現してるんだけど、私は「負けることの必要性」みたいなものを感じたんですよね。
「定年」という節目に順応できずに、再起をかけた挑戦をして失敗して・・・そうやって「負けた」からこそ物語の終盤でようやく次の人生へと踏み出すことができた。
「負け」というとネガティブな印象だけど、負けることでそれまでの人生にケリをつけて「次へ」と向かうことができるなら、それは劇薬かもしれないけど人生に必要なものなのかもしれない。
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