読書

【追悼】立花隆「臨死体験」「死はこわくない」

ペンギンオヤジ
「知の巨人」立花隆氏が亡くなったとのこと。

人は死んだらどうなるのか?

今朝、立花氏の訃報に接したあと、ふと思い出して「死はこわくない」(2015年文藝春秋)を寝床の中でパラパラと拾い読みした。

 

その中に次のような一節がある。

脳科学の最新の知見を踏まえて、臨死体験は死後の世界体験ではなく、死の直前に衰弱した脳が見る「夢」に近い現象であることを明らかにしたからです。

 

「人は死んだらどうなるのか?」というのは、とても多くの人が関心を寄せる問題だろう。

 

その問題解決の糸口として語られることの多い臨死体験について、かつて立花氏はその名もズバリ「臨死体験」という分厚い文庫本(しかも上・下巻)を書いている。

臨死体験というのは、事故や病気などで死にかかった人が、九死に一生を得て意識を回復したときに語る、不思議なイメージ体験である。三途の川を見た、お花畑の中を歩いた、魂が肉体から抜け出した、死んだ人に出会ったといった、一連の共通したパターンがある。

(出典:「臨死体験(上)」

 

少しオカルトチックな話しだが、著者はあくまでも科学的なアプローチでその謎について解明を試みた力作である。

 

そして、この上・下巻合わせて約1000ページという膨大な科学的検証の最後の最後は、こんな一文で締め括られている(この先、ネタバレ注意)。

いまからどんなに調査研究を重ねても、この問題に関して、こちらが絶対的に正しいというような答えが出るはずがない。(中略)どちらが正しいかは、そのときのお楽しみとしてとっておき、それまでは、むしろ、いかにしてよりよく生きるかにエネルギーを使ったほうが利口だと思うようになったのである。

 

臨死体験には2つの解釈がある。

 

ひとつは、死後の世界の一端であり死後も魂が存在する証だとする説。

 

そしてもうひとつは、死の間際に脳が見る幻覚に過ぎないという説。

 

「臨死体験」が書かれたのが1994年。そのとき著者はこの2つの仮説について、いわば態度保留。どちらが正しいのか分かるわけがないのだから、それより、いかによりよく生きるかを考えた方がいいと書き記した。

 

それから約20年が経過した2015年に出版された「死はこわくない」の中ではこの記事の冒頭にご紹介したように臨死体験は「脳が見る「夢」に近い現象」だと断定的に書いている。

 

そうやって断言できたのは、20年という時の流れのなかで科学の進歩により人の意識とか、臨終間際に脳内でどのようなことが起きるのか?といったことがより詳しく分かるようになってきたからだろう。

 

死はこわくない

「臨死体験」の最後にこうある。

私自身死というものにかなり大きな恐怖心を抱いていた

体験者の取材をどんどんつづけ、体験者が異口同音に、死ぬのが怖くなくなったというのを聞くうちに、いつの間にか私も死ぬのが怖くなくなってしまったのである。

(中略)

死にゆくプロセスというのは、これまで考えていたより、はるかに楽な気持ちで通過できるプロセスらしいということがわかってきたからである。

 

「死ぬのが怖くなくなってしまった」と、書いたあと著者は2007年に膀胱がん、その翌年には心臓病の大きな手術を経験している。

 

大病を患ったり、歳を重ねたこともあってか、「死はこわくない」の中では死というものについてもう少し具体的なことを書いている。

死後の世界が存在するかどうかは個々人の情念の世界の問題であって、論理的に考えて正しい答えを出そうとするかどうかの世界の問題ではない。

(中略)

死後の世界はまさに語り得ぬものです。それは語りたい対象であるのはたしかですが、沈黙しなければなりません。

 

臨終の間際に人の脳内活動や意識面においてどのようなことが起こるのかということについては科学によって多くのことが分かってきた。

 

しかし、死後どうなるかについては科学でも解き明かせない。

 

だからこそ死後の世界というものについて著者は「語り得ない」とし、それは個々人の考えによるものだ、と言ったのだと思う。

 

私は、ここで安易に「死後の世界はある」とか「肉体は滅びるけど、魂は・・・」などと言わないところに著者のジャーナリストとしての矜持を感じる。

 

世間では、臨死体験などを語る著者のことを「オカルト」という人もいますが、私は決してそうとは思わない。

 

「臨死体験」は読めば分かるが、とことん科学的エビデンスを積み上げて書かれたものだし、死後の世界については安易に結論づけることなく沈黙を守っているのだから。

他方、この「死はこわくない」では、科学的な知見とは違う部分で著者自身の死に対する考えが綴られてる。

今は心の平安を持って自分の死を考えられるようになりました。結局、死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだから、いい夢を見ようという気持ちで人間は死んでいくことができるんじゃないか。

 

ギリシャの哲学者、エピクロスによれば人生最大の目的は「心の平安を得ること」なのだそうだ。

 

「心の平安を持って自分の死を考えられる」という著者は、既に人生の大きな目的をひとつ達成していたのかもしれない。

 

最後に・・・

私が「臨死体験」そして「死はこわくない」を読んで思うこと。

 

それは、人は死を見つめることで生きることを考える。そしてそれは同時に悔いのない死への準備でもあることを学んだように思う。

 

そういえば、「臨死体験」の最後の章のタイトルは「第二十九章 死のリハーサル」であった。

 

謹んで立花隆氏のご冥福を心よりお祈りします。

 

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