●「マスク スペイン風邪をめぐる小説集」
●菊池寛:著
●文春文庫

100年前のスペイン風邪によるパンデミックで菊池寛は何を思い、どう行動したのでしょうか?
今回のコロナ禍では過去の感染症、とくに100年前のスペイン風邪について注目されることが少なくなかったように思います。
今回、ご紹介する菊池寛の「マスク スペイン風邪をめぐる小説集」もスペイン風邪が題材となっている短編小説が収められているものです。
当時の人たちが感染症拡大のなかでどのように過ごしていたのか、何を考えていたのかが描かれていて、当時も現在も変わらないその姿に今だからこその共感もあります。
今回の記事ではこの本の表題作「マスク」について、あらすじと私の感想をまとめてみたいと思います。
アマゾンの内容紹介
100年前の日本人は、疫病とどう戦ったのか? 文庫オリジナル!
スペイン風邪が猛威をふるった100年前。作家の菊池寛は恰幅が良くて丈夫に見えるが、実は人一倍体が弱かった。そこでうがいやマスクで感染予防を徹底。その様子はコロナ禍の現在となんら変わらない。スペイン風邪流行下の実体験をもとに描かれた短編「マスク」ほか8篇、心のひだを丹念に描き出す傑作小説集。解説・辻仁成
著者の菊池寛について
菊池寛(本名:キクチヒロシ、ペンネーム:キクチカン)
「父帰る」「恩讐の彼方に」などの代表作を執筆した一方で「文藝春秋」を立ち上げたり、芥川賞、直木賞を創設した実業人でもありました。
ある意味、文春砲の生みの親ですな 笑
短編「マスク」について(あらすじ ネタバレ注意!!)
この本の表題になっている「マスク」はわずか9ページの短編です。
(他に7つの短編とエッセイが1つ収録されてます)
とても短い作品ですが、100年前のスペイン風邪に対して菊池寛と思われる主人公がどのように対処したのか、その心理描写も含めてとても面白かったです!
病弱だった菊池寛
見かけ丈は肥っているので、他人からは非常に頑健に思われながら、その癖内蔵という内臓が人並み以下に脆弱であることは、自分自身が一番よく知って居た。
主人公(たぶん、菊池寛その人だと思う)は、見た目は恰幅が良くてとても丈夫そうに見えるが、実はとても身体が弱い。
胃腸を壊して医者に診てもらったときのこと。
脈をとっていた医者が「オヤ脈がありませんね」といい、「どうも心臓の弁の併合が不完全なようです」との診断を下しました。
心臓の弱いことは兼ねて、覚悟はして居たけれども、これほど弱いとまでは思わなかった。
どうやら主人公は心臓の病気のことを自分でも分かっていたんですね。
この診察を受けて「生命の安全が刻々に脅かされて居るような気がした」とあるけど、実際、菊池寛は59歳のときに狭心症という心臓の病気で急逝しています。
スペイン風邪と菊池寛
この診療を受けた頃、日本では流行性感冒、のちにスペイン風邪といわれるインフルエンザが流行り出していました。
医者から「チフスや流行性感冒に罹って、四十度位の熱が続けばもう助かりっこありませんね」と言われた主人公は、周到に感染予防をします。
自分は、極力外出しないようにした。妻も女中も、成るべく外出させないようにした。
そして朝夕には過酸化水素水で、含漱(うがい)をした。
止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。そして、出る時と帰った時に、丁寧に含漱をした。
過酸化水素水というのは、Google先生によるとオキシドール、つまり消毒液のことのようです。

「外出自粛」「うがい」「マスク」・・・100年前も現在も同じですね。
3月になると徐々に感染者も減っていき、まわりではマスクをする人は殆どいなくなったのに、それでも主人公はマスクをつづけていました。
そんな彼を臆病者と笑う友人に対して、次のように弁解します。
「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、文明人としての勇気だよ。誰も、もうマスクは掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。が、それは臆病でなくして、文明人としての勇気だと思うよ。」
このように友人に弁解する主人公にとって、時おり街中で目にするマスクをしている人は非常に頼もしい同志と感じられたようです。
そう云う人を見付け出すごとに、自分一人マスクを付けて居ると云う、一種のてれくささから救われた。自分が、真の意味の衛生家であり、生命を極度に愛惜する点に於て一個の文明人であると云ったような、埃さえ感じた。
マスクを外した菊池寛の前に現れた黒マスクの男
季節は移り、4月になり5月になるとさすがの主人公も、流行性感冒がまたぶり返したという新聞記事を気にかけながらもマスクをすることをやめてしまいます。
そんな折、早稲田で行われる野球大会を見物するために外出した主人公の前に黒マスクの男が現れます。
ふと、自分を追い越した二十三四ばかりの青年があった。自分は、ふとその男の横顔を見た。見るとその男は思いがけなくも、黒いマスクを掛けて居るのだった。自分はそれを見たときに、ある不愉快な激動(ショック)を受けずには居られなかった。それと同時に、その男に明かな憎悪を感じた。
なぜ黒マスクの男に憎悪を感じたのか?
自分がある男を、不快に思ったのは、強者に対する弱者の反感ではなかったか。あんなに、マスクを付けることに、熱心だった自分迄が、時候の手前、それを付けることが、何うにも(どうにも)気恥ずかしなって居る時に、勇敢に傲然とマスクを付けて、数千の人々の集まって居る所へ、押し出して行く態度は、可なり徹底した強者の態度ではあるまいか。」
ちょっと前までは「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ。」と言っていたのに、初夏の陽気を言い訳にしてマスクを外したら、目の前に「文明人としての勇気」を体現している男が現れたわけです。
まぁ、心中いろいろと複雑なものがあったんでしょうね、きっと。。
感想
わずか9ページばかりの短編ですが、コロナ禍の今だからこそ共感できるし、色々なことを考えさせてくれました。
まず、この短編を読めば、きっと誰もが「100年前も現在も同じじゃん!」って感じると思うんですよね。
上の方で書いた「外出自粛」「うがい」「マスク」はもちろん「毎日の新聞に出る死亡者数の増減に依って、自分は一喜一憂した」というのも同じですよね。
加えて私が面白い!と思ったのは表題にもなってる「マスク」。
マスクは現在進行形のこのコロナ禍を象徴するアイテムの一つですが、この短編の中では「マスクをする者としない者」という対立の構図を象徴するアイテムになってるんです。
物語の前半で主人公はマスクを付けることを「文明人としての勇気」だと言い、街角でマスクをしてる人を見つけると「同志」であり「知己」のようだとも書いてるわけですよ。
反対にマスクをしない者、あるいはマスク姿を笑う人のことは「野蛮人の勇気」と言ってます。
簡単にまとめれば主人公は「マスク=正義、文明人、反マスク=野蛮人」という対立の構図で身のまわりや社会を捉えていたんでしょうね。
こうした対立の構図って、現在のコロナ禍でも至るところに見ることができると思いませんか?
今も昔も感染症はいとも簡単に社会を分断して対立させるもののようです。
もしかしたら、ウイルスという目には見えない敵と戦うとき、人は敵そのものではなく自分とは違う立場の人を敵とみなして攻撃するものなのかもしれません。
それと、分断した社会の中では人は自分と同じ側に立つ他者の存在によって、自分の立ち位置を肯定するんですよ。
それは、次のような文章から読み解くことができます。
偶に停留所で待ち合わせして居る乗客の中に、一人位黒い布片で、鼻口をおおうて居る人を見出した。自分は、非常に頼もしい気がした。ある種の同志であり、知己であるような気がした。
感染が下火になり、ほとんどの人がマスクをしなくなった中で偶然にも自分と同じようにマスクを付けている人を見つけて、主人公は自分の正しさのようなものを確認し、その相手を「同志」と呼び誇りさえ感じた、と心情を描いてます。
・・・と、ここまでは割とフツーの人が感じる感想だと思うんです。
ただ、主人公がまわりの人とちょっと違うのは「医者の言葉に従えば、自分が流行性感冒に罹ることは、即ち死を意味して居た」とあるように、今の言葉でいえば「基礎疾患」があった点です。
実は私もがんの後遺症がありドクターからは「コロナで重症化しますよ」と、この主人公と同じようなことを言われているのです。
このような基礎疾患やリスクが高い人は、たぶんフツーの人とは見えてる世界が違うと思うんですよね。
それは次のような言葉からも確認できます。
自分は感冒に対して、怯え切ってしまったと云ってもよかった。
他人から、臆病と嗤われようが、罹って死んでは堪らないと思った。
今のコロナ禍でも「ただの風邪!」という人もいれば、感染を恐れてなるべく外出しない人もいて、感染症に対する人々の態度はグラデーション模様ようになってます。
パンデミックの中で人の対立がその立ち位置に原因があるのなら、こうしたグラデーションに気づいて「自分が見ている世界が絶対ではない」ということを心に留め置かないといけない。
そうでないと、ウイルスよりも怖いのは人間だよね、ってことになってしまうじゃないですか。
余談
この本は帯付きで買うと、このように菊池寛がマスクをしたイラストになっているんですよ。
それなのに!アマゾンでわざわざKindleではなく文庫本を買ったのに送られてきたのは帯なしのものでした。
ただの菊池寛。。。
せっかく出版社がわざわざマスクの帯を作ったのに、これじゃ意味ないじゃん!
と、ちょっと残念に思った次第。
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