「経済で読み解く日本史(1)室町・戦国時代」
上念司:著
飛鳥新社(文庫版)
もともと歴史が好きで、それも世界史よりも日本史が好きでした。
でも、縄文・弥生時代から現代までを通しで勉強したのは、もうはるか昔、30年以上前のこと。
以後はテレビや小説などで断片的に日本史には触れてきましたが、そろそろもう1回、通しで日本史を勉強したいなと思っていたタイミングで文庫本5冊で中世から現代までの通史が分かるというこの本が出版されるのを知り5冊セットで買ってしまいました。
アマゾンの内容紹介
お金の流れがわかれば歴史がわかる。経済が発展すれば政治制度も変化せざるを得ない。貨幣量の変化を中世までさかのぼり、当時の景気循環を説明。室町幕府の衰退とともに、内乱と宗教戦争が頻発し、戦国時代に突入した原因はデフレ経済にあった。
○貨幣量の変化で、中世の金融政策と景気を説明する
○比叡山vs.京都五山、経済マフィア化する寺社勢力
○日明貿易の衰退が室町幕府の弱体化を招いた
○それに伴い開始された寺社勢力と武士の「仁義なき戦い」
○一向一揆、法華一揆の背後の「巨大な越後屋モデル」
○中世を発展させ終わらせた「経済的インセンティブ」
室町時代はデフレ経済だった?
どんなに強い政治権力を持つ者でも絶対に逆らえない掟があります。それが「経済の掟」です。それは、例えば「お金をたくさん刷れば必ずインフレが起こる」とか、「お金の量が減ればデフレになる」とか、「デフレになるときは自国通貨高になる」といった、とても単純なルールです。
この本のタイトルに「経済で読み解く」との文言があるとおり、冒頭で「ワルラスの法則」というモノとお金のバランスによって経済はどう動くのか、ということが説明されています。
とても分かりやすい解説です。これを読むと、室町時代の経済状況はもちろん、現代の日本経済が苦しめられてきたデフレ解決のために中央銀行である日銀の果たすべき役目というものも理解できると思います。
景気が悪いと政府の財政政策に文句を言う人がいますが(税金の無駄遣いとか)、それよりも日銀の金融政策がどうなっているのか?という点の方が大事ではないのかと思ったりします。
話が少し逸れました。。
室町時代の経済は概ねデフレ基調だったとこの本には書かれています。
なぜ、デフレだったのか?その原因は自国で通貨を発行せずに日明貿易によってもたらされる銅銭を流通させて通貨としていたことにあると説明されています。
明と貿易をして銅銭を輸入すれば、日本国内の貨幣流量は増えますね。
逆に明との貿易を止めてしまうと(4代将軍、足利義持が日明貿易を一時停止させた!)貨幣量が増えなくなります。
実体経済が成長しているのに(モノが増えているのに)、明から銅銭が入ってこなくなると貨幣不足となり経済はデフレになってしまいます。
この時代はデフレになり経済が困窮すると戦(いくさ)が始まります!
室町時代に戦乱が多かったのは(応仁の乱とかもありましたね)、こういった経済的な背景があったと著者は指摘します。
経済マフィア化する寺社勢力
寺社勢力とは単なる宗教団体ではありません。寺社は仏教留学僧が作った支那とのコネクションを生かして貿易業に精を出す巨大商社であり、広大な荘園を所有する不動産オーナーであり、土倉や酒屋といった町の金融業者に資金を供給する中央銀行でした。
この本の2/3くらいのページを割いて室町時代の寺社勢力について詳細に解説されています。
一般的には室町時代の政治権力は足利氏の室町幕府が握っていたということになるのでしょうが、この後に登場する江戸幕府と比べると政治的基盤が弱く、それ故に寺社勢力と結びついて経済的な援助などを受けていたのです。
平安時代の頃から天台宗の比叡山延暦寺、藤原氏の氏寺だった奈良の興福寺が多くの僧兵を抱えとても強い武力勢力であったことはよく知られていますね。
そういった旧勢力に対して鎌倉、室町時代に力をつけてきたのは臨済宗でした。
鎌倉五山は(鎌倉)幕府に便宜を図ってもらうことでマーケットを広げ、その見返りとしてその収益の一部をキックバックします。つまり、臨済宗などの寺社勢力と幕府の実質的な関係は「お代官様と越後屋」だったのです。
(中略)
室町幕府はプレイヤーこそ違えど、そのビジネスモデルは鎌倉幕府と変わりません。
「鎌倉幕府と鎌倉五山」から「室町幕府と京都五山」へとプレイヤーが入れ替わっただけで、越後屋モデルは引き継がれたというわけです。
この後、旧勢力の天台宗と臨済宗の経済戦争が起きたり、一向一揆や法華一揆の嵐が吹き荒れたりして、この時代の宗教は本当に物騒だったことが伝わってきます。
個人的にはこういった寺社勢力の話しにはあまり興味がないので、読んでいて退屈に感じるところもありました。
だけど、この時代の寺社勢力が経済プレイヤーとして(時に武力勢力として)いかに大きな影響力を持っていたかということはよく分かりました。
室町将軍の跡目問題と応仁の乱
障子が開け放たれたかと思うと、完全武装の武士数名が義教(よしのり)に斬りかかったのです。将軍義教はあっけなく討ち取られてしまいました。これが世に言う「嘉吉の変」です。
(中略)
1441年の嘉吉の変から義政が元服する1456年までの間、管領家と有力守護大名、将軍側近グループなどが入れ替わり立ち替わり権力を掌握する時代が続きました。
-
- 6代将軍、義教・・・嘉吉の変で暗殺される
-
- 7代将軍、義勝・・・9歳で将軍となるも8か月で病死
-
- 8代将軍、義政・・・8歳で将軍に就任、元服後も政治に興味がなく東山文化などに傾倒し銀閣を建てたりした
本文の中ではサラッと触れられているだけですが、6代将軍、義教が暗殺された後から8代将軍までの間、室町幕府がどれだけ「ポンコツ」だったのか!!
義教が暗殺された後、2代続けて幼い子供を将軍の座につけて、義政が成人したと思ったら政治は側近たちに丸投げして東山文化に傾倒し、挙げ句の果てに「応仁の乱」です。
これは滅茶苦茶な戦争でした。寒冷化とデフレ不況の進行で、みんな頭に血が上ってわけがわからなくなっていたのかもしれません。(中略)途中から何のために戦っていたのか、目的すら見失っていた各勢力は、エネルギーを使い果たすまで戦い、最終的には戦闘は自然に終結しました。
個人的な感想ですが、この混乱の時期って平成の政治状況とも似てるなぁって思いました。
災害が多発したり、デフレ経済が進行して(放置されて)、小泉内閣の後を引き継いだ安倍、福田、麻生とほぼ1年ごとに政権が変わり、民主党政権になっても鳩山、菅、野田と短命政権が続きましたよね。
7代・義勝、8代・義政の時代は将軍ではなく側近たちが政治を執り行っていたようですが、平成の日本でも1年前後で政権を放り出す首相が続く間、代わりに官僚たちの都合で政治が左右されていたような印象があります。
結局、室町時代も平成の世もデフレという経済の停滞が政治勢力を弱めて社会を混乱させたということでしょうか?
まとめ
この「経済で読み解く日本史」は著者の上念司氏が以前に刊行された「経済で読み解く織田信長」など4冊の本を加筆再編集して文庫本全5巻で発売されたものです。
今回取り上げた「室町・戦国時代」から始まって「安土・桃山時代」「江戸時代」「明治時代」「大正・昭和時代」へ続く日本通史になっています。
高校時代に授業や受験勉強で日本史はそれなりに勉強してきましたが、その頃は自分に経済に関する知識は殆どなく、授業内容も歴史的な出来事をなぞる感じのものでした。
それだけに、「経済」という枠組みで日本史を捉えなおしたこの本は私にはとても新鮮に感じました。
第1巻で取り上げられた「室町・戦国時代」、幕府の力がそれほど強くなかったのも、応仁の乱をはじめ多くの戦乱が起きたのも経済というモノサシを当てはめて見てみると「なるほど!」と頷ける内容でした。
この後の展開も楽しみです。また随時、レビュー記事をあげていきますね。
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