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【雑学】明治5年の12月2日は大晦日だった!

ペンギンオヤジ
明治5年の12月2日が大晦日だったってご存知ですか?

旧暦から新暦へと『改暦』されたことで、12月2日が大晦日となり翌日が明治6年のお正月(1月1日)となったのです。「明治の改暦」と呼ばれてます。

 

でも、調べてみるとこの改暦はけっこうエグいというか、ドタバタだったみたいなんですね。

 

旧暦(太陰太陽暦)とは?

 

まずは旧暦(太陰太陽暦)とはどんなものであったのか、ざっくりと説明してみたいと思います。

 

太陰暦を、太陽の動き、すなわち季節にも合わせて作った暦。太陰暦の12か月は1太陽年より約11日少ないので、19年に7回の閏月 (うるうづき) を置くなどして調節する。

出典:goo辞書「太陰太陽暦(たいいんたいようれき) の意味

 

月の満ち欠けを基にして作られた「太陰暦」に太陽の動きも加味することを考えて作られた暦が「太陰太陽暦」です。

 

これじゃ、分からないですよね。もう少し詳しく説明しますね。

 

新月の日が各月の1日となっていて、新月から新月までを「1か月」ということにしていたんですね。

 

でも、月の周期(新月から新月まで)は29.5日です。

 

暦の上では1ヶ月を29.5日とはできないので、大の月(30日)と小の月(29日)とに分けて調整してたのです。

 

だけど!29.5日で一年(12か月)を過ごすと・・・

 

29.5日×12か月=354日

 

つまり、今の太陽暦より1年が11日も短いってコトになります。

 

そして3年もすると11日×3年=33日となり、1か月くらいズレてしまいます。

 

このまま放置すると、どんどん暦と季節がズレていってしまう!!!ってコトになってしまうんですよ。

 

それじゃ困る!ってことで、3年に一度「閏月(うるうづき)」を1か月足して、1年を13か月にして調整してたんですね。

 

つまり、12か月→12か月→13か月→12か月→12か月→13か月→12か月・・・

 

こんな感じ。

 

ちなみに「13月」というのは存在せず、「3月」「閏3月」「4月」という感じの暦になっていたようです。

 

明治5年に改暦した明治政府のフトコロ事情

 

太陰太陽暦については、だいたい分かってもらえたでしょうか?

(だいたい・・・で大丈夫です。私もそんなに詳しくは知らないので。。)

 

次に、明治の改元がどれだけエグくて、ドタバタだったかを話してみたいと思います。

 

江戸幕府から政権を引き継いだ明治政府、とにかくお金がなくて財政はどん底だったんだそうです。

 

「このままでは財政破綻だぁ!」と政府が苦悩している時にふと閃いた!

 

「そうだ、暦を変えちゃおう!」

 

果たして「財政破綻」と「改暦」にどんな関係があるのか・・・?

 

理由その1:12月の給料払わないで済む!

 

明治5年12月3日が新暦の1873年1月1日であることに目をつけた明治政府。

 

このタイミングで暦を変えてしまえば、明治5年の12月はたった2日しかないわけですから「12月の公務員給料を払わないで済むじゃん!」って考えたんですね。

 

理由その2:翌年の給料も1か月分が浮くじゃん!

 

明治6年はそのまま旧暦を使っていると「13か月」の年だったんですよ。

 

つまり、1年で13か月分の給料を払わないといけない。。

 

だけど!太陽暦にしてしまえば12か月ですから閏月の分、1か月分の給料を払わないで済む!

 

改暦はドタバタ劇だった!

 

もう、お分かりですよね?

 

旧暦から新暦に暦を変えるだけで、明治政府は合理的に2か月分の公務員給料を削減できるのです!!

 

とにかくお金がなかった明治政府「これは直ぐにやろう!」ってことになったようです。

 

そして、なんと明治5年11月9日に改暦詔書を出して「国民の皆さん、来月の12月3日は明治6年の1月1日にするよ、ヨロシクね!」ってことを宣言したんですね。

 

そう!改暦するよ!って言われてから1か月もしないうちにお正月がやって来たんですよ!どんだけバタバタだったんだろうか?

 

もちろん、開国したことで諸外国と貿易をしたり外交交渉をするのに日本だけが太陰太陽暦を使っていたら何かと不便なので、いつかは太陽暦へ改暦する必要があったのでしょう。

 

でも、このドタバタぶりを見ると、明治政府のフトコロ事情は相当に厳しかったのではないかと。。

 

早稲田と慶応が改暦で手を組んだ?

 

こんなドタバタ劇を主導したのは、大隈重信と福沢諭吉だったらしいです。

 

大隈(早稲田)は明治政府の参議という立場でしたが、この改暦について色々とアドバイスなどをして、福沢(慶応)は庶民に向けて太陽暦の仕組みやメリットをわかりやすく解説した「改暦弁」という本を書いてベストセラーになってます。

 

 

明治の改暦では早稲田と慶応が手を組んでいたんですね〜

 

蛇足

 

私がこの話しを知ったのは立川志の輔さんの落語「質屋暦」がきっかけでした。

 

最初に聞いたときはさすがに、これは落語のネタだろうと思ったのですが調べてみたら本当だったんです!(落語って勉強になるなぁ)

 

それにしても、明治政府めちゃくちゃしてたんですね(笑)

(おしまい)

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