「金閣寺・銀閣寺の住職が教える 人生は引き算で豊かになる」
有馬頼底:著
文響社
私と同じように舌癌の手術を受けたタレントの堀ちえみさんが退院後、ご自身のブログでこの本のことを書いていて、私も読んでみようと思い手に取ってみました。
著者は臨済宗相国寺派第七代管長であり、金閣寺・銀閣寺の住職を務める有馬頼底氏。
臨済宗といえば、「禅」です。
「禅」に傾倒していたというアップルの創業者、スティーブ・ジョブズが愛読していたという禅の本を読んだことがあるのですが、その時はイマイチとっつきにくい印象がありました。
でも、この本はとても分かりやすかったし共感できる言葉もたくさんありました!
この本では、悩みや苦しみのもとになる執着心を手放すことで心が軽くなること。
何か辛いことがあった時も、それにとらわれずモノの見方を変える「転ずる」力が大切だということが繰り返し述べられています。
今回は少し私の思い込み強めの記事ですが、よかったら読んでみてください。
アマゾンの内容紹介
「もっとお金がほしい」「もっと出世したい」人間は生まれがらにして「欲」を持ち続けます。しかし、その欲を追求しつづければ無間地獄にはまり、幸せが訪れることがありません。
そこで金閣寺・銀閣寺の住職であり、日本を代表する僧侶である有馬頼底が、「欲」や「執着心」を手放し心がラクになる方法を教えてくれます。
「足るを知る」と「向上心」
あなたが本当に豊かになりたいと思うなら「もっと、もっと」と何かを積み重ねようとするのではなく、目の前のものをそのまま受けとめ、それに満足し、感謝する心を育てることです。
「もっと、もっと」という欲望にとらわれていると、苦悩が増える。それよりも今、目の前にあるものを受け入れて感謝することでラクに生きられる。
・・・と、そんな教えが書かれています。「足るを知る」ということですね。
しかし、一方でこんなことも書かれています。
安易に「頂上に到達した」と思い「ちょっと休もう」「もう、これで十分だ」などと思ってはいけない。さらに先を目指し、精進を続けなければならない、という戒めが込められた言葉です。
もう十分だと思わずに、そこからさらに努力をせよ!というわけです。
何だか「足るを知る」と矛盾しているような感じを受けませんか?
(これから書くことは、ある人の受け売りなのですが・・・)
「足るを知る」というのは、個人の欲望についての教えだと思うのです。
例えば「もっとお金が欲しい!」とか「もっと出世したい!」というような『欲望』を持つことは際限がなく、むしろ執着心というか苦しみや悩みを生み出してしまう。
しかし、「足るを知る」といって安易に妥協してはいけないものもあると思うのです。
それは例えば仕事とか学問の分野とか。
レストランなどに行き、とても良いサービスを受けたとしましょう。
でも、店側がこのサービスがベストだ!と考えてそれで満足し、改善も改良もしないとしたらどうでしょう?
客としては「?」マークが付きますよね。
学問の分野とかでもノーベル賞を取った山中伸弥教授が「これで、もういいや」と考えるでしょうか?
ノーベル賞を取った後もより多くの人の役に立つようips細胞の研究を続けてますよね。
このように個人の欲望については「足るを知る」という気持ちで「もっと」を手放す一方で、仕事や研究などの分野では、現状に満足せずに「もっと」を追求していく。
そういう視点で自分が持っている「もっと」は手放すべきものなのか、追求すべきものなのかを考えてみることが大切かなと思うのです。
経済的合理性が全てではない
効率化、合理化が進んだ世の中だからこそ、特に意識して、心にゆとりを持つことが大事なのだと私は思います。
私は経済的合理性や効率化が全てではないと考えています。
だけど、実際問題としてお金がないと生活していけません。。
それに世の中の多くのことは「損得勘定」で動いているのも事実だと思うのです。
企業もグローバルな世界での競争に必死です。
そんな時に
合理化、効率化を意識して、急いでばかりいるのではなく、ときにはゆったりと無駄な時間をたっぷりと使ってみてはどうでしょうか。
と言われてもねぇ・・・・と、私も最初はそう思いました。
だけど、そんな世の中だからこそ宗教家の出番なのかもしれません。
合理化の名の下にリストラにあった人、大勢いますよね。
何十枚、何百枚もエントリーシートを書いたのに内定がもらえなかった人、いますよね。
今の世の中、リストラやロスジェネ、ワーキングプアなどと呼ばれて社会からこぼれ落ちてしまう人たちがいます。
社会に身の置き場がないと、心が落ち込んでいきますよね。
自分の人格を否定された!と思う人もいるかもしれない。
だけど、世の中に価値のない人なんていないし、不要なものもない、と著者は語ります。
お釈迦様は「人も、鳥も、花も、この世に存在する生きとし生けるものすべては、ことごとくみな成仏なのだ」とおっしゃっています。それぞれ存在するに値する、十分な価値があるのだと教えているのです。
キリスト教の世界でも聖書に、「神様は人間一人ひとりが「私の目に貴い」と言った」と書かれているそうです。
一人の人間がこの世に誕生し、存在していること自体が奇跡であり、貴いことだと仏教もキリスト教もそう言っているわけです。
「そんなのきれいごとだ!」いう人もいるかも知れません。
だけど、まずは自分が自分を認めて肯定してあげなきゃ、何も始まらないじゃないですか。
自己肯定感を失ってしまったら、他人の評価に踊らされるだけです・・・と私は思っています。
そして、「効率化、合理化が進んだ世の中だからこそ、特に意識して、心にゆとりを持つことが大事」と著者が書くその言葉の裏には、合理化や効率化とは違う世界があるんだよ、ということを私たちに教えてくれているように思うのです。
AI(人工知能)と人間が仕事を奪いあう世界がやってくるそうです。
そんな世界で必要になるものって、心の余裕なのかもしれませんね。
「今日」をていねいに生きる
何かを成すための道があるとすれば、それは今日という日をしっかりと生き、また明日という日をきちんと迎えるということにほかなりません。どこかに特別な道があるのではなく、あなたの足下にあるその道(日常)こそが、一番大事な道であり、その中に学ぶべきことが潜んでいるのではないでしょうか。
2年前(2017年)にステージ3の癌を告知されました。
ちゃんと手術を受けて治療すれば(その時点では)命の心配はないようでしたが、それでも「5年生存率50%」と言われました。
その時、とにかく1日、1日を大切にして生きていこうと思いました。
「1日、1日を大切に」、きっと誰もが思うことですよね。だけど、その気持ちが長続きしない。。私も同じでした。
最初の手術から2年、(1度、再発転移をしましたが)今のところ経過観察も順調。
次第に「1日、1日を大切に」という意識も薄れていってました。
だけど、あることがきっかけで今は再び「今日をていねいに生きる」ことにこだわるようになったのです。
ツイッターで癌で余命宣告を受けている人をフォローしてました。
その人は医者から今年の5月末まで・・・と宣告されたそうです。
だけど、5月末を乗り越えても元気にツイートしてました。それが6月9日を最後にもう3週間もツイートがありません。。
存命なのかどうか分かりません。
ただ、そのことが改めて私に癌という病気の怖さを教えてくれたし、「1日、1日を大切に」という意識を呼びも戻してくれました。
今の私にとって「1日、1日を大切に」ということは、時間を無駄に使わないということです。
そして、できれば行動する中で少しでも改善を繰り返して質の高い行動ができるようになることが目標です。
まとめ
「禅問答」を辞書で引くと
何を言っているのか訳の分からない問答、話のかみ合わない問答のたとえにも使う (出典「明鏡国語辞典」)
と書いてあります。
上の方で書いたように私も「禅」に対しては何となく取っ付きにくイメージを持っていました。
だけど、この本では禅の教えをとても分かりやすく平易に解説してくれています。
しかし、分かりやすいが故に「そんなの当たり前じゃん」と思う内容が多いです。
この本に限らず、自己啓発系の本を読むときは「当たり前」「これは他の本にも書いてあった」という気持ちで読んでいる限り何も得られないと思います。
先ずは書かれている言葉を素直に受け止める。そして、一つでも二つでも実践してみて初めて自分のものになるんですよね。
それと・・・
この本を読んでいると、自分の「思い込み」「常識」「偏見」「執着心」がどれだけ自分を不自由にしているかということにも気づかされました。
「執着しないこと」、そして「転ずる力」が必要なのです。 人は、一つのことにずっと集中するから行き詰まってしまうのです。そこからいかに転ずるか、考え方をちょっと変えることが、大きなターニングポイントになります。
生きづらさを感じている時、逆境にある時、そこにフォーカスしてばかりだと心が疲れて荒れてきます。
この本に書かれているように、少し考え方や見方を変えるだけでもだいぶ気持ちがラクになるように思います。
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