12月14日(正確には翌15日の未明だが)は赤穂の浪士たちが本所松坂町の吉良邸に討ち入った日だ。
まぁ、さらに言えば12月14日は旧暦の日付なので現在の暦(新暦)になおすと1月30日になるらしい。。
何はともあれ、私が子どもの頃は12月14日頃になるとテレビでは忠臣蔵を題材にしたドラマや映画などが放送されていて、年末の風物詩のような感じだった。
そして、もう一つ。
この時期になると思い出す1冊の本がある。
井上ひさしの「不忠臣蔵」
赤穂の四十七士は見事に主君の仇である吉良上野介を討ち取ったことで本懐を遂げ、民衆から喝采を浴びた・・・というのはよく知られたお話し。
しかし、この本では諸々の理由で討ち入りに加わらなかった、或いは加わることができなかった浪士たちのことが描かれている。
全部で19篇の短編が収められいるのだけど、最初に登場するのが中村清右衛門という浪士。
彼は討ち入りの一団から抜けたことで世間から罵詈雑言を浴び、あまつさえ命まで狙われる始末。
しかし、清右衛門は決して命が惜しかったわけではない。
四十七士の親分、大石内蔵助から「もしも仲間やこの大石が吉良上野介を討つことができなかったらどうする」と問われた清右衛門、「どんなことをしても晴らしてやります」と答えた。
すると内蔵助。
「では残れ。第二陣にまわれ。磯貝やこの大石がもし仕事をしのこしたときは、たのむぞ。しかし第一陣が本懐をとげたときは、第二陣はつらいことになるが、それは承知か」
磯貝というのは、四十七士の一人で清右衛門の大親友。
つまり、清右衛門は世間から非難されることを承知のうえで、敢えて討ち入りの一団から抜けたのだ。
どこまでが史実かは分からないが、大石内蔵助が第二陣を用意したいたというのは確からしいので、この清右衛門のようにつらい思いをした浪士もいたのだと思う。
自分の命をかけて主君への忠心を貫いた四十七士。
すべてを承知で敢えて汚れ役を買って出た浪士。
どちらも日本人が好きそうな話しのような気がするのだけど、昨今では「忠臣蔵」の物語は会社や上司に対しての忠義を想起させるらしく、話題にのぼることもあまり無くなってきてしまった。
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