●「死にゆく人の心に寄りそう~医療と宗教の間のケア~」
●玉置 妙憂:著
●光文社新書
[st-kaiwa1]大切な人を看取るとき、出来るだけ安らかに見送ってあげたいと思いませんか?[/st-kaiwa1]
核家族化などで自分の親を看取るとき、初めて人の死に触れるというケースも少なくないと思います。
看取りの経験がないことから、「何としても助かって欲しい!」とか「苦しそうだから」と、良かれと思ってやったことが逆に死にゆく人に負担をかけてしまうこともあるのです。
この本では、看護師であり僧侶でもある著者が多くの看取りの現場の経験をもとに、死にゆく人と見送る人たちが無事に安らかに着地できるよう知っておきたいことをまとめた内容となっています。
何も知らないまま母を見送った私は、この本で「あの時は・・・」と初めて母の行動が実は死のサインであったことに気づかされました。
同時に母を失ってからしばらくの間「もっと、してあげられたことがあったのに」と後悔の念に苛まれていた気持ちが、著者の言葉で胸のつかえが取れるように、自分を許すことができるようになったのです。
大切な人を失うのは誰でも悲しくてつらいことだと思います。
でも、大切な人だからこそ、最後の最後は安らかに見送ってあげたいですよね。
そのために、知って欲しいことが書かれてる1冊です。
今回の記事では、この本の第一章から、人が死ぬ前にどんなことが起きるのかをまとめてみました。
amazonの内容紹介
死の間際、人の体と心はどう変わるのか?自宅での看取りに必要なことは?現役看護師の女性僧侶が語る、平穏で幸福な死を迎える方法と、残される家族に必要な心の準備。
死の3か月前頃から起こる3つのこと
1.内向きになり自分の人生を振り返る
死の予兆はだいたい死ぬ3か月くらい前から現れるといいます。
多くの場合初めに現れるのは、外に向かうベクトルがなくなって、内向きになることです。
自分の内側に興味が向いて、これまでにどういうことをしてきたか、それでどうなったか、などといったことをしきりに話したりします。
死を前にすると、もう外へ出て働いたりする必要もなくなるので自ずと意識も外界ではなく自分の内側へと向かうようになるんですね。
周りの家族は「思い出話しばかりして・・・」と感じるでしょうが、本人はそうやって、昔の思い出話しをしながら自分の人生を整理しているといいます。
2.食が細くなって、痩せていく
死の前には食が細くなって、痩せていくといいます。
もうじき死ぬということは、この肉体を脱ぎ捨てるということですから、肉体を維持するための栄養は、それほど積極的に摂らなくてもよくなるのです。したがって、ごく当たり前のこととして、食が細くなります。そして、やせていきます
食事が食べられなくなるというのは、ある意味では死を前にした人間の自然の流れでもあるワケです。
だけど、周囲の家族は心配してなんとか食べさせようとしたり、病院に連れて行ったりするんですよね。
3.寝てる時間が長くなる
この時期には、昼も夜もなく寝てる時間が長くなり、よく夢を見るようになるといいます。
この時期にはまた、よく眠るようになります。昼も夜もなく、うつらうつらと眠っているのを見ると、家族はまた心配になります。
起きているときに、興味が内に向いて昔話をよくするのと同様、うつらうつらとした意識の中でも、これまでのことを思い出し、人生を整理しているのかもしれません。
個人的には、食が細くなっていくことで体力が落ちる。だから疲労が激しくなってよく寝るようになるのかと思うのですが、どうなんでしょう?
死の1か月前頃から起こる3つのこと
1.血圧や心拍数、呼吸数、体温などが不安定になる
死ぬ1か月くらい前になると体のバランスが崩れてきて、血圧や心拍数、呼吸数、体温などが不安定になるといいます。
着地態勢に入った人には、恒常性を保つだけの力が残されていません。そのため血圧、心拍数、呼吸数、体温などが、これといった原因がなくても上がったり下がったりして、しかも振り幅が大きいのです。
この時期になると、食が細くなって、それでも水分は飲むことができていたのも出来なくなってくるそうです。水分が摂れないというのは大変なことなので、家族は心配しますよね。
それで、場合によっては救急車を呼んだり病院に連れていくことになります。
当然、病院では水分を体内に入れるために点滴などの手段を取ることになるのですが、これが死にゆく人にとっては負担になるのだとか。
水分の点滴は、着地点に向かっている人にとっては、効果よりも負担の方が大きくなってしまう場合があります。臓器の機能が落ちているため、入れた水分が吸収できずに溜まっていき、体がむくんでしまうのです。
2.痰が増え、しばらくすると元に戻る
亡くなる2週間から1週間前になると痰が増えるようにるとのこと。
痰が口から溢れるほどの場合には、必要最小限の吸引をしますが、そうでなければ何もしなくても、2、3日で自然に痰は消えます。
人によっては、亡くなる数日前から数時間前に、痰が増えてゴロゴロ音がすることがあります。これを「 死 前 喘鳴(しぜんぜんめい)」と呼びますが、痰の増加が起こる時期の違いであり、現象としては2~1週間前に起こる痰の増加と同じです。
3.夢か現かわからない不思議な幻覚を見る
亡くなる1か月前の頃には、1日の大半を眠って過ごすようになり、不思議な幻覚を見るようになるのだとか。
不思議な幻覚とは、亡くなった家族や実在しない人と会ったり、知らない場所に行ったりしたことを、現実のようにリアルに体験することです。
医学的には、このようなお迎え現象は、脳が酸欠になっているために見る幻覚だとされています。
酸欠になると脳は幻覚を見るのです。
思い返すと、私の母も亡くなる少し前の頃には、よくお母さん(私にとっては祖母)の夢を見ていたようでした。
「お母さんはどこに行ったの?」と聞かれて、「もうずっと前に死んだよ」と思わず本当のことを言ってしまったら、思いっきり泣かれてしまって困ったことを思い出しました。
当時は、ボケたから・・・と思っていたのですが、そういうわけでもないようですね。
死の数日前頃から起こること
亡くなる数週間前とか数日前に突然、元気になることがあるといいます。
しかし、残念ながらその状態は長くは続かず、数日でまた元の状態に戻ってしまうのだとか。
亡くなる数週間から数日前には、パッと調子がよくなることがあります。
ただし、この状態は長くは続かず、1日か2日でまた元の状態に戻ります。したがって、食べたいものがあればそれを食べる最後のチャンス、入院していて「家に帰りたい」と言っているなら、家に帰る最後のチャンスです。
亡くなる前、ほんのわずかの時間だけど元気になることがある。これを著者は「きちんとお別れをする時間が与えられているのだと、私は理解しています」と書いています。
そして看護師でもあった著者は経験的に、もう残されてる時間が少ないことが分かるので、入院患者の家族の方々に「ご自宅に一度戻られてはいかがですか?」とか、「食べたいというものを食べさせてあげてみてはどうですか?」と言うことがあったそうです。
しかし、家族は「せっかく元気になったのだから慌てることはない。もっと元気になってから」と、この申し出を断って最後のチャンスを逃してしまうことが残念でならない
と本文中で綴ってます。
再び、私事を。
肺炎が悪化して病院に運び込まれた時には、意識がなかった私の母も亡くなる2日前には、意識が戻って元気を取り戻しつつあるような状態になりました。
まだ酸素マスクをつけたまま、何か私に話しかけてきたのですが、うまく聞き取れなかったんですよね。
何度も聞き返すのも良くないと思い、何となく分かったふりをしてしまいました。
そして、私は取りあえずこのまま回復してくれるんだろうと思い「また明日、来るからね」と言い残して病院を後にしてしまったのです。
しかし、翌日から母は昏睡状態に陥り、2度と目を覚ますこともなく、言葉を発することもなく逝ってしまいました。
そう。私も母と言葉を交わす最後のチャンスを逃してしまったのでした。
死の24時間前頃から起こること
尿が出なくなる
亡くなるまで24時間を切ると、極端に尿が出なくなります。尿の量は徐々に減り、その頃にはもう出てもわずかですが、それがついに出なくなります。
下顎呼吸が始まる
一般的には、尿が出なくなるのと同じ頃から、下顎呼吸が始まります。下顎呼吸とは、顎を上下に動かしてする呼吸で、これが始まると、残されているのは 24 時間程度です。したがって、入院している場合には、このタイミングで「親族に集まっていただいた方がいい」と告げます。
下顎呼吸は、最終の着地態勢に入った印です。死にゆく人を静かに見守り、最後の時間をともに過ごすことができれば、それに越したことはありません。
尿と便がバッと出る
下顎呼吸になったあと、心停止が起こる前に、それまで出なかった尿と便が、今度は一遍にバッと出ます。血圧が低下して、体中の筋肉が緩むため、筋肉でできている尿道口や肛門も緩んで、体内に溜まっていたものが出るのです。
いきなり尿と便が出ると驚きますが、そのおかげで、亡くなったあとの体の中はきれいに空になっています。人は自分で自分の体をきれいに空にして、亡くなるのです。
目が半開きになり、涙が出る
ときには、目が半開きになって涙が出ることがあります。これも失禁と同様、血圧が低下して筋肉が緩んだために起こることです。筋肉が緩んで瞼を閉じていられなくなると、目の角膜が乾きます。角膜が乾くと、生理現象として涙が出るのです
息を吸って、止まる
最後に、呼吸が止まります。
私が見てきた限りでは、息を吸って亡くなるケースが多かったように思います。
人は息を吐いて生まれ、息を吸って亡くなるのです。〝息を引き取る〟とはよく言ったものです。
感想(大切な人を看取る前に知っておきたかった)
死ぬ前に起こることがわかっていれば・・・
今回の記事はこの本の第1章から「死にゆく人の体と心に起こること」、いわば死ぬ前に起こることを時系列に沿ってまとめてみました。
私ごとですが、2018年1月に母を看取りました。
亡くなる4か月前、長かった入院生活を終えて帰宅した母は足腰が立たなくなり完全介護が必要な状態になっていたのです。私は寝るときも母のベッドの横にマットレスを敷いて24時間付きっきりで介護しました。
そうやって母が亡くなるまでの4か月間、ずっと母の側にいたわけです。
今回、この本を読みながら「あぁ、あれはもうすぐ亡くなるというサインだったんだ」と思い当たることがたくさんありました。
例えば、母が亡くなった祖母のことを、まるで生きているかのように話しをした時には「ボケが進んだなぁ」と軽く受け流していたのですが、この本によれば、それは酸欠による幻覚で死を前にした人にはよくあることのようです。
あの時、もっと母の気持ちに寄り添って母の話をちゃんと受け止めてあげればよかった・・・本を読みながらそんなことを思いました。
そして、この本で初めて知った「下顎呼吸」。
母は最後、肺炎で亡くなったのですが亡くなる直前はずっと口をパクパクさせていたのです。
私はその様子を見ながら、肺炎で呼吸が苦しいのだろうと思っていたのですが、実は「最終の着地態勢に入った印」だったことをこの本を読んで知りました。
大切な家族がもう直ぐ亡くなってしまう・・・それは、なかなか受け入れがたいことです。
しかし、
一旦着地態勢に入った人は、何をしても着地します。
これはもう、動かし難い自然の摂理なんですね。
で、あれば見送る側としても心の準備をして、出来るだけ安らかに見送ってあげられるようしたいですよね。
何をしても後悔は残るもの
母が亡くなってから数か月間、私は「もっと早くに病院に連れて行ってれば助かったのではないか?!」と何度も自分を責めました。
「助けてあげられなくて、ごめん」と何度も墓前や仏壇の前で謝ったりもしました。
大切な人をなくした後「あの時、もっとしてあげられることがあったのではないか?」と後悔の念に苛まれる人は案外、多いのではないでしょうか。
この本では、そんな人たちにこんな言葉をプレゼントしてくれます。
たとえできることをすべてし尽くしたとしても、後悔は残るのです。
ですから私は、「起こったことはすべて、起こるべくして起こったこと」であり、「終わったことはすべて、よかったこと」だと、いつも申し上げます。そう思い、自分を許していいのです。
さすが看護師として看取りの現場に何度も立ち会い、僧侶としての経験を積んだ著者の言葉は素直に心に染みます。
最後の最後に無事に着地させてあげるために
何をしても後悔は残るもの・・・かもしれませんが、残される者として最後の最後は出来るだけ安らかに着地させてあげたいと思いませんか?
「何としても助かった欲しい!」との思いから、延命措置をしてしまい、それが逆に亡くなりゆく人の負担になることがあることも、この本を読んで知りました。
「一旦着地態勢に入った人は、何をしても着地します。」という人に対して私たちができることは多くはないかも知れません。
それでも・・・
何かしてあげたいと思う気持ちは尊いものですが、本人が望まないのであれば、特別何かをしてあげなくてもいいのかもしれません。一緒にいる時間を作って話を聞いたり、手や足をさすってあげたりする。着地間近の人には、そんなさりげない触れ合いの方が、大きな意味を持つのです。
最後の時間を少しでも良いものにするためにできることはあるのです。
それと、もう一つ。
人生の着地態勢に入ったとき、治療の及ばない地点に至ったとき、人は医療とは別のものを求める。いわば、生きていくための医療と死後の宗教の間にある、死にゆく魂のケアを求めるのです。
「死」という抗えない運命の瞬間に立ち会うときに必要なのは、医療だけでなく、見送る人の心のケアも大切だと思うのです。
看護師であり、僧侶であるからこそ看取る人の気持ちにも寄り添い、大切な人を亡くした後の喪失感を和らげてくれる言葉が、この本にはいくつも書かれています。
死にゆく大切な人、そしてそれを見送る人、その両方が無事に着地できるように知っておいて欲しいことが書かれた1冊だと感じました。
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